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仙台高等裁判所 昭和55年(行コ)4号 判決

控訴人 橘直吉

被控訴人 十和田労働基準監督署長

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が昭和四八年五月二三日控訴人に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金給付を支給しない旨の処分を取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一、二<略>

三  主張の補足

1  控訴人

(一)  本件の被災者橘正雪(以下正雪という。)は本件事故当時白山タイル店主(以下、白山という。)から日当二、五〇〇円のほか一日当り二〇〇円のガソリン代の支給を受ける約束のもとに、白山の依頼により工事現場である三本木農業高等学校(以下、三農という。)に通勤していた。

正雪は右三農の現場に自動車で通勤することが精神的、肉体的かつ経済的に負担が著しく、従来の仕事がすべて白山宅に寄宿して白山の車で現場まで通勤していたのが実情であつたので、右三農の工事についても工事現場の福間組飯場に泊るか、白山宅に寄宿して通勤したい意向を白山に強く要望したが、白山は、福間組から飯場の使用を断られ、また、自宅に寄宿させることも困難であり、正雪の要望を容れることができなかつたので、正雪に対し、自家用の自動車による通勤を依頼し、そのためのガソリン代の支払を約束した。

(二)  正雪は、本件事故の当時、自宅から三農の現場まで通勤し、白山に常傭として雇われ、朝八時ころから夕方五時ころまで勤務するには、本件事故の際運転していた自家用車により通勤するほかに適切な代替の交通手段はなく、また、仕事に要する道具類を運搬する上からいつても自家用車によることが必要であつた。

すなわち、正雪がもし、自家用車によらずにバス等により通勤するとすれば、午前七時一〇分の始発のバスに乗つたとしても三農の現場には午前一〇時ごろでなければ到着しないし、帰りも、自宅に戻る最終のバスに間に合うためには三農の現場を午後四時前に退去しなければならない。また、列車を利用するとすれば、特急列車や急行列車は別として、普通列車に乗る場合は、自宅より徒歩で七分ほどの駅から午前七時一分発の列車に乗つたとしても、三農の現場に到着するのは午前九時を過ぎてしまい、午前八時の始業には間に合わず、始業時前に着くためには午前五時二三分発の列車に乗らなければならないのであるが、これは三農の現場に午前七時には着いてしまい、早すぎるのである。そのうえ、帰りも、午後五時すぎまで勤務するとすれば、利用できる列車は限られており、自宅に着くのは午後八時一二分過ぎ又は午後一一時一分すぎになつてしまう。

しかも、これらのバスや列車を利用する場合には、途中二度ないし四度も乗り換えを余儀なくされるうえ、これらの交通機関の乗降車地点と自宅又は現場との間をそれぞれ歩行しなければならないが、正雪の仕事に必要な道具類等は、その重量が合計して四七・六キログラムもあり、その中には容積の大きな小道具箱(手道具類を収納するもの)、砂通し、トロ舟、クワ、スコツプ等も含まれていて、これらを乗り降りや歩行の際に携行することは極めて困難であつた。

(三)  災害が労災保険法一条に定める業務上の事由による災害に該るとされるためには、業務起因性と業務遂行性が必要とされるけれども、その具体的な意味は、要するに労働者が労働契約に基づき使用者の支配下にある状態において災害が発生した場合をいうものとされている。そして、労働者が使用者の支配下にあるとされるためには、労働者が被災の当時において使用者から具体的な指示(特命)を受けていたとか、あるいは労働契約や就業規則により使用者の指揮命令下にあることが明文化されていることを必ずしも要件とするものではなく、それは、労働契約や就業規則等の内容、職場の慣行、職種の特殊性、被災状況等を考慮して、当事者の合理的な意思解釈等により又は社会通念により客観的に判断されるべきものである。そしてそのような観点からみて、使用者が労働者が行うことを当然に期待しているものと解される行為を労働者が行う場合には、本来の業務行為はもとより、その準備行為も、業務遂行性を有し、労働者が使用者の指揮命令、支配下にあるものとして、それが私的な意図にもとづく行為や恣意的行為のように労働者に業務遂行の意思を欠くことの明らかな特段の事情がある場合の外は、原則として業務上の事由による災害に該当するものと解すべきである。

したがつて、特命のない出勤行為といえども原則として業務遂行性を有し、その途上において発生した災害は業務上の事由にもとづくものというべきである。

しかし、かりに、出勤途上における災害が業務上の事由にもとづくものとされるためには、当該の出勤行為が通常の出勤行為と異なつた特段の事情が必要であると解する立場に立つとしても、本件事故においては前記(一)、(二)の事情があり、これは右の特段の事情がある場合に該るから、本件事故は業務上の事由による災害に該当する(最高裁判所昭和五四年一二月七日判決。判例時報九五四号、一四頁参照)。

2  被控訴人

(一)  通勤途上の災害と業務遂行性の有無

労働基準法上、労働者が仕事のうえで負傷したり、病気になつたり、死亡した場合に、その負傷、病気をなおし、失つた収入を補償し、または遺族の生活を保障する無過失責任(災害補償責任)が個々の使用者に課せられ、該補償の実施を確保し、補償負担の危険を分散させるために、労災保険法による労災保険制度が設けられたのであるが、それは労働者を自らの支配下において労働させる使用者はそのことに伴う危険を負担すべきであるという理念にもとづくものであり、これにもとづく補償はあくまで損害賠償としての性質を有するものである。

従つて労働者の受けた災害をすべて右労基法、労災保険法が救済しようとするものではなく(使用者の支配下にない業務外の傷病に対しては健康保険法が、また業務外の癈疾や死亡については厚生年金保険法が適用される。)、右救済が行われるためには当該災害が使用者の支配下において、該業務に起因して発生したことが絶対の要件となるのであつて、「労働者が労働契約にもとづき使用者の支配下にあること」という「業務遂行性」の要件が業務と災害との因果関係(「業務起因性」)の第一次的な判断基準とされているのである(労働省労働基準局編著「業務上外認定の理論と実際」(新訂版)八二頁以下参照)。

そして通勤途上の労働者は客観的にみて明らかなように、使用者の支配・管理の下に未だ入つておらず、しかも通勤が労働者の選択する居住地や通勤手段によつてその形態を異にし、通常その利用に供される交通機関、道路等の設置・管理が当該使用者とかかわりを持たない第三者の手によつて行われている以上、通勤途上の事故は企業外の危険にもとづくものというべきであつて、右「業務遂行性」の要件を欠き、労災制度による救済の対象とはならないのである(最高裁昭和二八年一一月一七日判決、刑集七巻一一号二一八五頁、東京高裁昭和三九年一一月三〇日判決、判例タイムス一七二号一九八頁、東京高裁昭和五二年一月二七日判決・訟務月報二三巻二号三六七頁参照)。

(二)  控訴人主張の誤り

控訴人は、正雪の通勤に使用者からガソリン代が支給されていたとか、通勤は使用者の要望によつたものであつたとか、同人の通勤方法には他に代替すべき適当な交通機関がなかつたとして、その通勤段階から使用者の支配下にあつたもので、かかる通勤途上において発生した本件事故に業務遂行性が認められるべきである旨主張するが、仮に控訴人主張の如く使用者によりてガソリン代が支給されていたとしても、それは単に通勤手当が支給されていたというだけのことで、これによつて通勤途上の事故が使用者とかかわりをもたない企業外の危険に基づくという本質が変る筈がないし(しかも現実にはガソリン代支給の事実はなかつた。)、また右正雪が使用者宅への住み込みを希望し、使用者がこれを断つて通勤を「要望」したとしても、それは使用者において住み込みという形で同人を日常的に支配下におくことを好まず、同人が自宅で起居するという利益を享受するかわりに、自己の責任において通勤することになつたという経過を表わすだけの意味しかないし、また仮に控訴人主張の如く、バス、電車では仕事場への交通の便が多少悪かつたとしても、それは同人が自主的に居住地を選択した結果にすぎず、これによつて通勤が使用者の支配下に移行する筈がないから、控訴人の上記主張は何等理由のないものである。

(三)  「特別事情」の存否

(1)  控訴人は近時の裁判例(最高裁昭和五四年一二月七日判決)を引用し、本件の場合は例外的に通勤が使用者の指揮命令下におかれていたという「特別の事情」があつた旨主張する。

なるほど事業場専用の交通機関で通勤している場合とか、通勤中で業務上の用事をすることが義務として予定されているような特別の場合は、通勤途上の事故も例外的に事業主の支配下にあるものといいうるし、右記最高裁の裁判例も山間僻地の発電所と社宅間を社有車を利用して通勤し、事故当日が発電所のヨ曜日当直勤務でしかもスト中の為代替者がいないという職務の性質及び当日出勤せざるをえない状況にあつたという例外的な特別事情を認めたうえで、「本件災害は出勤途上の災害ではあるが、労働者が使用者の支配管理下におかれているとみられる特別の事情のもとにおいて生じたものと解しえないわけではない」と判示したものであるが、本件の場合は単純な通勤途上の災害であつて、右のような事業場専用車(社有車)による通勤が原則となつていた訳でも、通勤中に業務上の用事をすることが義務的に予定されていた訳でも、当該業務に緊急性、公共性があつて出勤が強制されていた状況があつた訳でもないから、右「特別事情」を想定することはできず、控訴人の主張は理由がない。

(2)  また控訴人は正雪が手道具類を車で運んでいたとして本件通勤が使用者の支配下にあつたことの特別事情と主張するようであるが、仕事場では必要な道具は使用者においてそろえていたのであり(乙五号証一三項、乙六号証六項)、同人は自己の主観的な好みによつて慣れた個人所有の手道具類を自分で運搬していたにすぎず、これをもつて通勤の途中に業務上の用事をすることが義務として予定されているような特別な事情の存する場合と同視することはできない。

四  新たな証拠の提出、認否及び援用<略>

理由

一  当裁判所の事実認定及び判断は、次項のとおり原判決の理由説示に訂正、附加をし、三項以下のとおり当裁判所の新たな判断を加えるほかは原判決の理由説示一及び二中初めから原判決七枚目裏三行目までと同じであるからここにその記載を引用する。

二  訂正、附加部分

1  原判決五枚目裏一〇行目に「労働者災害補償保険法」とあるのを「労災保険法」と訂正する。

2  <略>

3  同七枚目裏三行目の次に、次の事項を附加する。

「正雪は右三農のタイル張り工事に従事する以前にも、白山方の請負にかかる工事について同人方に雇われ日給制によりタイル張り工事に従事したことがあり、その際には同人方に寄宿して工事現場まで白山の自動車により往復するのを常としていたが、右三農の工事のときは、正雪の自宅から三農の現場までは自家用車で通勤するとすれば、約三九・五キロメートルの距離があるので、初め白山から工事の一部を下請して工事に従事するに当り、白山に対し工事現場にある福間組の飯場に宿泊するか、白山宅に寄宿して、他の労働者らと共に白山方の自動車により三農の工事現場まで往復して工事に従事したい旨の希望を申入れたが白山側の事情により、いずれの希望もかなえられず、また白山宅から工事現場までの距離は約三一キロメートルであつて、正雪の自宅から通う場合に比して距離的には大差がないこと等の理由から、自宅から三農の右工事現場まで直接通勤するよう説得されたこと、下請制で工事を施行するときは所要の手道具類のほかバケツ、砂通し、トロ舟等の大型の道具も自己所有の物を使用するのが通例であつて、その運搬をも必要とすること等の事情により、自宅から自家用車で三農の工事現場まで往復して工事に従事することとし、白山もこれを了承し、このような経過により、正雪は自家用車によつて自宅から工事現場迄を往復するとともに、所用の道具も運搬携行し、しばらくの間下請制により工事に従事してきた。しかしその後正雪は下請を廃し、日給制により常傭として白山に雇われて右三農の工事現場において従前と同様のタイル張り工事に従事するようになつたのであるが、現場への通勤の事情は従前と変りがなく、ただし、常傭で働く場合には手道具類(これは小道具箱に収納して運搬携行するのが常である。)だけは自己所有の物を使用するのが通例であるが、トロ舟や砂通し等の大型の道具類は雇主の用意した物を使用すればよく、必ずしも自己の物を使用する必要がなかつた。しかし、正雪は常傭として働くようになつた後も従前と同様に自家用車に手道具類のほか右大型の道具類をも積み込み、自ら運転して三農の工事現場まで通勤し、午前八時半ごろから午後六時ごろまでの間、白山方から同人の自動車により通勤する他の労働者らとともに勤務し、勤務終了後は再び右の道具類を積み込んだ自家用車によつて帰宅し、時々欠勤することがあつたものの、ほぼ連日このような形で勤務を継続していた。

そして、白山は正雪が常傭として勤務するに至つた後も従前同様自家用車による通勤を当然のこととして了承していた。

以上のとおりの事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

次に、正雪の自家用車による通勤の必要性に関し、他の適切な交通手段の有無について検討すると、<証拠略>を総合すれば、控訴人の主張の補足(二)記載の事実を認めることができる。

そして、以上の事実を併せて考察すると、正雪が自宅から三農の工事現場まで通勤するには自家用車によることが最も便利であつたばかりでなく、むしろ、特急、急行列車等、通常通勤手段としては経済的に見合わないものを除くと、勤務時間に間に合い、経済的に無理がなく、かつ往復にそれほど体力を消耗することもなくして毎日の勤務を続けられるような形で通勤しうるには、少なくとも当時は自家用車に頼るほかには適切な交通手段はなかつたものであり、雇主の白山もこのような事情を十分にわきまえた上で正雪の自家用車による通勤を余儀ないものとして了承していたものであると推認することができる。」

三  当裁判所の新たな判断

以上認定の各事実にもとづいて判断すると、正雪が本件事故の当時自家用車により通勤していたことについては1正雪の自宅から三農の工事現場までは約三九・五キロメートルの距離があり通勤に不便なため、正雪から、従前の例にならい現場近くの飯場に宿泊するか、又は雇主の白山宅に寄宿して同人の自動車により通勤したい旨を白山に申し入れたのに白山側の事情により実現できず、白山の説得により自宅から工事現場に通勤することになつたこと、2自宅から工事現場まで通勤するには自家用車によるほかには時間的、経済的、肉体的に損失や負担の少ない適切な交通手段がなく、自家用車によるのが余儀ない状況にあつたこと、3白山に雇われた他の労働者らは白山宅に寄宿し同人の自動車により工事現場に通勤していたこと、4自家用車により通勤するときは正雪の使用する手道具類(大型の道具類を含まない)の運搬携行にも便利であつたこと、5雇主の白山もこれらの事情により正雪が自家用車により通勤するのを余儀ないものとして承認していたこと等の各事情があり、これらの事情は通常の通勤の場合とは異なる特例の事情として、正雪の通勤行為が雇主の支配管理下に置かれていたものと解するにつき、十分な根拠となるものである。

もつとも、正雪の自家用車による通勤は同人が白山の常傭となる以前の下請契約の当時から開始され、常傭となつた後にもこれが継続されたものであるけれどもこのような事情は特別な事情の意義を左右するものではない。

してみると、本件事故は正雪が雇主の支配管理下にあつた出勤の途上において、その出勤に欠くことのできない自動車の運転によつて生じた事故であると解するのが相当であるから、同人の死亡は業務上の事由にもとづく災害というべきであつて、労災保険法一条、一二条二項、労働基準法七九条、八〇条に該当し、法定の保険給付の対象となる。

四  結論

以上の次第で、本件事故による正雪の死亡が業務上の事由にもとづかない事故であつて保険給付の対象にならないものであるとして、保険給付を支給しないこととした被控訴人の本件処分は違法であるから、その取消を求める控訴人の請求は理由があり認容すべきものであつてこれと結論を異にする原判決は不当であり、本件控訴は理由がある。

よつて、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法三八六条により原判決を取り消して控訴人の請求を認容し、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小木曽競 伊藤豊治 富塚圭介)

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